俵谷龍佑(たわらやりゅうすけ)(@tawarayaryusuke)です。
僕は小学校の時に3年間いじめられていました。
いじめのせいで東京が嫌いになったのも今となっては懐かしい。。
今日は、自分の過去を振り返りながら書いていきますよー。
小学生の頃、3年間いじめを受け続けていた
当時、僕の通っていた小学校は、問題児が多く、僕以外にもいじめられてる人がいました。
今はヒョロヒョロ体型で、ロードバイク乗りでどちらかといえば体育会系になってしまいましたが、小学校当時は運動無縁のデブで三段腹でぽちゃぽちゃ王子でした。
さらに、運動もできないどんくさだったので、いじめるには最適の的でした。
どんな風にいじめられていたかといえば・・・
- 毎日肩にパンチ、たまにスネにキック
- まれに首絞め、腹パン
- 給食の時、班からハブられる
- 椅子で殴られる
- 大縄(縄跳びで使う)で殴られる
- 女子の前でズボンを下ろされる
まあ、こんな感じです。
今あらためて書いたら、小学校なのに大分ひどいいじめ受けていたなと。
あまりに嫌だったからか、当時の記憶ってあんまり思い出せなくて、自分がいじめを受けているのを親に隠していたことも後々知りました。(あざで気づいたようです)
「変なやつだからいじめる」という論理は破綻している
僕の当時の言動を振り返ると、相当の変わり者だったのだと思います。
あと、転校生で東京に小学3年生の時に来たので、それを一要因だったかも。
いじめられていた時は、「自分が太っているから悪いんだ」と思ってました。
なんとかして痩せたい・・・ずっとそんな風に思ってた気がします。
しかし、いじめられる側がたとえ変でも横柄だったとしても、殴ったり蹴ったりしていじめていいわけないんですよ。
昔は、テレビのコメンテーターで「いじめられる方にも原因がある」みたいなことを言っている人もいましたが、毎回「じゃあ、まず一度いじめられてみたら?」って思ってました。
力で押さえつけるというのは、頭が悪いことの現れ。
理性があるのなら、言葉で諭せばいいのに。
「いじめ」で抑圧されていた負のエネルギーが今の活力になっている
いじめられている時って、本当にみじめでした。
ただそれと同時に、「こいつら絶対タダじゃ置かない」みたいな負のエネルギーみたいなのも溜まっていくんですよね。
その負のエネルギーって実は減らなくて、これが俗に言う「心の傷」なのかもしれません。
このエネルギーの吐き出す場所が分からない、だからこそ、自分を表現できる歌とかドラムとか音楽や絵を描く、作曲する、文章を書くっていうことである意味発散しているのかもしれません。
この時の経験があるからこそ、今色々と必死に動けている。そう思っています。
本能に従い、嫌なことから逃げ続けよう
僕が当時のいじめられている自分に言葉を贈るとしたら、、、
「嫌なことから逃げよう」ですかね。
このいじめの経験もあるからか、やっぱり僕は人生を通して「逃げ続ける」がテーマなんですよね。
嫌なことからひたすら逃げて、楽しいことだけやる。
小さい頃から悪い方向に”我慢”を覚えてしまうと、いずれ大人になった時に精神的に壊れてしまうと思うんですよね。
まとめ
そろそろ、自分用に作曲しようと思っている所存。
やっぱり、歌うなら自分の原体験である「いじめ」についての曲を、まずは書いていきたいですね。
もし、出来上がったら、またこのブログで公開しますー。
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俵谷 龍佑
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