僕は、昔から「どんくさい」「ぶきっちょ」と言われるような人間です。そういった言動が原因で小学校の時にいじめられてました。
そういう嫌な想い出もあり、僕は「ぶきっちょな自分」が嫌で仕方ありませんでした。「完ぺきになりたい」と思ってずっと生きてきました。
自分の欠点を改善しても、自信にはつながらなかった
ぶきっちょな自分から脱却して、「誰にでも慕われるようなカッコイイ大人」になりたいと思っていました。そうやって、僕は他人から指摘された欠点を全て改善するようにしました。
しかし、欠点を改善しても自信がつくどころかどんどん自信を失っていきました。それは、僕の欠点は他人にできて当たり前のことだったからです。
そんな部分を改善したところで誰も評価をしてくれなかったのです。
完ぺきな人はスゴイけれど、距離は縮まらない
完ぺきな人は本当にカッコイイですね。本当に憧れます。
しかし、所詮はそれだけのことでしかないのです。結局、近づくことができないのです。だから、僕はもう「完ぺきな人」になるのをやめました。
完ぺきな人って、往々にして自分の才能や個性を無自覚に察知して生きてます。嗅覚が優れているのです。気がついたらできてしまっているパターンの人が多い。
しかし、僕のようなぶきっちょな人がそれを真似しようとしても、それは無茶な話なのです。
なぜなら、その人は無自覚にやってしまっているから。そして、それが完ぺきな人に備わっている「才能」や「強み」であるからです。
「ぶきっちょな人」は人の弱い部分を知っている
僕がぶきっちょな人を好きな理由は、「人の弱い部分を知っているから」です。
ぶきっちょと呼ばれる人は、失敗やミスが多いから、悪口を言われたり批判を浴びたりします。僕も実際にそうです。
もう、同じ目にあいたくない、自分がされたことを他人にはしたくない…そう思えるからこそ、人の弱い部分を受け入れることができるのだと思います。
僕は、ぶきっちょであることは、もう欠点だと思わなくなりました。自分がぶきっちょであることで離れていく人がいるのであれば、それで良いと思っています。
なぜなら、それが自分だから。
だから、「できない自分が嫌だ」「おっちょこちょいで嫌気が指す」と落ち込む必要はないと思います。僕は、今まで欠点といわれてきた評価は一旦チャラにして自分で勝手に都合よく解釈するようにしてます。
最近は、このポジティブシンキングで「衝動的に行動=好奇心の強さ」と「融通が利かない=意志が強い」という2つの能力を手に入れました。まあ、かなり強引なこじつけですがねww
俵谷 龍佑
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