Web集客の専門家、俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。
僕は、かなり繊細で傷つきやすいのですが、以前よりもだいぶマシになったと思いますが、まだまだ他人のことで頭を悩ますことがある。
ある程度、考えることは大切なのですが、他人のことって考えても分かることではないので、キリの良いところで止めておかないと、どんどん自分の貴重な時間が奪われてしまいます。
今日はそんな話を。
他人の気持ちを推測しても、直接話を聞いても、全て理解はできない
人間って複雑です。
「嫌われたかな?」「自分のことどう思っているかな?」こういうことを考えてしまいますが、そもそもこういうことって考えても答えが出ません・・・というのは耳にタコですね。
では直接聞けば良いか?といえば、そうでもないと思います。
なぜなら、そこには配慮があったり、嘘があったり、その人の気付いていない本心があったりと、人間の心情は一筋縄ではいかないから。
その複雑な他人の心情を読み解くなんてことが土台無理なのです。
自分の気持ちですら、理解するのが難しいのに、他人のことを理解しようなんていうのは、まさに高等技術なわけです。
他人の気持ちを理解する努力は必要だが、推理はいらない
もちろん、自己中心的に他人のことなんて知らねえ、となるのは違うと思います。
他人あっての生活なので、それは間違っています。
もちろん、他人とのコミュニケーションにおいて、「思いやり」は大切です。
しかし、他人の気持ちをいちいち伺ったり、推理する必要はないってことです。
もっと知りたいという好奇心からならまだいいですが、それが心配の種となって、ずっとそのことで悩んでしまうのなら、いっそ止めたほうがよいです。
もっと「自分がどうしたいか」に悩もう
自分がどうしたいかっていうのって、意外とこの「他人の気持ちを推理する」行動に阻まれていると思います。
とにかく、他人がどう思っているのか気になって仕方がない、だから自分の気持ちのことなんて考えられない。
本来は逆。自分がどうしたいかに頭を悩ますべき。
他人の気持ちにビクビクしていたら、いつまでたっても自分の気持ちを心の中から表に出すことはできないのはおろか、口にだすことすらできなくなってしまいます。
自分の本当の気持ちを知る方が実は傷つく
他人の罵詈雑言より、実は自分の本当の気持ちを知ることの方が傷つくこともあります。
「自分は今悲しんでいる」「自分は〇〇に激しい憎しみの感情を持っている」特に、自分のマイナスな感情って、受け入れたくないんですよね。
だからこそ、他人の気持ちを推理するとか、全く別の行動をして、逃避しようとする。
もしかしたら、傷つくかもしれませんが、ずっと知らないままで押さえ込めておくことの方が、のちのち自分を傷つけることになります。
ぜひ、定期的に自分の本当の気持ちと向き合う時間を作ってみましょう。
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