Web集客の専門家、俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。
「母の日嫌い」のツイートが予想以上に反響があったので、ブログ記事にしました。
そもそも、母の日や父の日といった行事って、ビジネスが絡んでいるから信用していません。
「ゆがんでるよ」って思われるかもしれませんが、僕は本当に嫌いというか、必要ないと思います。
「母の日」は「家族仲良く」の理想論の押しつけでしかない
そもそも、僕は常に家族が仲良くいなきゃいけないなんて思っていません。
ダメな時もあれば、良い時もあると思います。
むしろある程度、距離感があった方がうまくいきます。
様々な人がいれば様々な家庭があるわけで、母の日という一律の行事で「お母さんに物を送る」ってなんかおかしくないですかね?
みんなが一斉に購入するからデパート混むし、購入するのに時間かかるし…。
それなら、普通の時にさりげなく渡したほうが良いと思います。
あと、感謝のために、、といいますが、そんなに毎年感謝しますか?
同じ人に何十年も毎年感謝できる人なんて、そうそう少ないと思うんですよね。
僕にはとうてい無理です。
気持ちがこもってなくて形式上なら、やる意味がない
そもそも、気持ちがこもっていないのに、「とりあえず買っておこう」くらいなら、もし僕が親ならそんなことに時間とお金を使わないで欲しいと思います。
それだったら、自己投資に使って欲しいと思いますね。
形だけのやり取りほど不毛なものはないと思います。
過去記事で書いた謙遜もそうだし、社交辞令だってそう。
本当に気持ちがないなら、やる必要が無いんですよ。
親を敬わないといけない理由は?
年上や偉い、親は偉い、様々な場面、節目でこのようなことをいわれたり、聞いたりしますが、僕は別に敬いたくないなら敬わなくても良いと思います。
親が偉いなんてことはないし、子供が偉いってこともない。両者平等だと思います。
「子供を生んだから偉い」とよく聞きますが、子供を生むこと自体に偉いも何もないです。
尊いことではありますが、えばることじゃない。
もし、子供がそれを親からいわれたら、何も言い返せない。
要は、親の権利をふりかざして、子供を権力で押さえつけているだけ。
その言葉を放ったところで何にも生まれないし、信頼関係が生まれるはずがありません。
家族は所詮他人、信頼関係を築くのは難しいというゼロ地点から考える
母の日から、だいぶ飛躍したところに帰着して、結論となりますが(笑)、僕は家族は所詮自分以外の人間だと思っています。
ドライかもしれませんが、いくら一緒にいる時間が長かろうと、生みの親であろうと、自分の考えを100%理解している親などいないわけです。
そもそも、性格や価値観が違う人同士なはずなのに、「仲良くなれるはず」という前提で考えるから、おかしくなるし、こじれるのです。
「所詮は他人、信頼関係なんてなかなか築けない」というゼロ地点から考えることが、僕は家族、ひいては友人とも上手くやっていく秘訣なんじゃないかなあと思っております。
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俵谷 龍佑

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