謙遜って文化、否定するわけじゃないですが、いき過ぎると「自分の意見をはっきりいうやつは生意気」みたいな空気になるから苦手です…。
謙遜とは、相手を敬う態度のこと
謙遜というと、「いやいや、まだまだ未熟者ですから」と自分を下げるイメージがありますが、本来は自分を下げて相手を立てる、つまり相手に敬意を表する行為です。
辞書にもこうあります。
へりくだること。控え目な態度をとること。また、そのさま。<デジタル大辞泉より>
しかし現在、この「未熟者ですから謙遜」を使っている場合って、「相手に白い目で見られそうだから」といったなんとなくの理由でやっている人多いと思います。
「謙遜」という無言の圧力で、ハッキリと意見を言う文化が形成されない
僕は、謙遜って文化が苦手です。
僕は、ハッキリものを言って欲しい派なので、まどろっこしいなと思ってしまいます。
褒められても「いやいや、まだまだです」「ダメですよ、自分は」などといって、本当はそうなのにあえて下げるという謎のコミュニケーションをしないといけません。
その、謙遜は相手敬ってるのか?という話ですよね。
ただ、形式上やっているだけなら、これほど滑稽なことはないと思います。
僕は、相手を褒めたら、普通に「そうなんです、ありがとうございます」といわれるのが一番うれしいですし、こっちの方が尊敬の念を感じます。
謙遜って、結局、真意が伝わってこないんですよね、表面上というか。
自分を過小評価をするのが癖になってしてしまう
謙遜の良くないところって、僕はここだと思っています。
会話で、謙遜が癖になっていれば、自分を下げることが自然と増えるから、自分を過小評価するのが癖になってしまう。
謙遜って、あくまで振る舞いなので、本心ではないと思いますが、やっぱり言葉として発するというのは強大な力で、「自分って本当はそうなのか」と思い込んでしまいます。
自信がない人は、自分の強みや好きなことを探せない
ちょっと、話が逸れますが、自信がないって状態は本当によくないです。
あと、自信がないって実は自覚が持てないものです。
自信がないと何がマズイかって、自分の判断や決断に自信が持てなくから、自分の強みや好きなことが分からなくなります。
さらに、自分の決断に自身を持てないから、他人や環境に依存しやすい。
他人や環境に依存するから、自分の思い通りの生活が描けないし、近づきにくくなります。
形式だけの謙遜はやめよう、自分をもっと評価しても良い
まあ、謙遜という文化が「意見をハッキリいわなくさせている」「自信が無い人を増やしている」とまではいいませんが、形式だけで謙遜をしているのなら、やめちゃいましょう。
そんなもの、意味ないです。自分の価値をムダに下げるだけ。
もっと、素直に生きたほうがラクです。自分をもっと評価していきましょう。
もし、「生意気だ」などといってくるおじさまがいたら、アンモナイト(化石)が何かぶつぶつ言っているとでも思って、手でも合わせておきましょう。

俵谷 龍佑

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