俵谷龍佑(@tawaraya1222)です。
久しぶりのブログ投稿。
ようやく、アウトプット疲れから開放され、アウトプット欲がたかまってきたので、このブログもそろそろ活動を再開しようと思います。
「察する」ということについて
僕は、発達障害ということもあって、察することが非常に苦手です。
察することができないのではなく、察しすぎてさまざまな可能性を考えてしまって、結局何もしないというのがいつものパターン。
そして、職場や家などで「なんでわからないの?大体分かるじゃん」と言われてきた始末。
ただ、察するって、そもそも相手に負担かけさせる行為だと思うんですよ。
察するっていうのはある意味、相手への期待はわけじゃないですか。
期待するって、厳しく言えば「勝手な思い込み」なんですよ。
もちろん、それは前向きなことでもあるんですが、勝手に期待されて勝手に怒られるっていうのは、期待された側から見れば、「わけも分からず怒られている」のと一緒だから、全く腑に落ちません。
「察して動く」はレベルの高いコミュニケーション
「察して動く」ことはとてもレベルの高いコミュニケーションだと思う。
例えば、「甘めの生姜焼き作って」と言われたら、そりゃ作れるけど、どの程度甘めなのか?っていうのは人それぞれで、明確に正確に言わないと分かりませんね。
日本語には、”塩少々”という気持ち悪い表現があるが、少々なんてそれこそ人によって違う。
就活の「ビジネスカジュアル」も同じようなカテゴリー。
最初は、自分が発達障害だからかな?と小さな問題と思っていたけど、世の中をいろいろ見ていくと、結局「察する」ことを期待し、それに甘んじてきて、いろいろな問題って起こっているように思います。
例えば、パワハラとかセクハラとか離婚とか。
問題の根底は全部「コミュニケーション不足」に尽きますよね。
「相手に察してもらう」のは信頼ではなく「怠惰」
「〜してくれるだろう」
「わかってくれるでしょう」
「普通はこうするのが当たり前」
これは一見、信頼のように見えて実は「怠惰」なんです。
言うのが面倒くさい、言ったら仲が悪くなる、そう思っている時点でそこに信頼はありません。
丁寧なコミュニケーションをしたい。
これは僕のパートナーともよく話し合うことですが、「一つひとつの言葉の意味を考え直す」のってとーっても大事です。発達障害に限らず。
他人は自分とは違う考え方ですから、受け取り方は違って当然。
「すまん」って言うと謝られていない気がするって思う人もいれば、そうでない人もいます。
すごい言い方に腹立っていたけど、よくよく話をしてみたら、お互いの言葉に対する捉え方が違ったなんてよくあることです。
だけど、これもお互いの気持ちを明確に言語化しなければ、こういう話し合いにはならないはずです。
他人と自分は全く別の人で、話し合うことで初めて理解できることばかり。
この大前提を忘れずに、丁寧なコミュニケーションは何歳になっても大事にしたいなと思います。
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思っている以上に時間は少ないよ。「生き急ぐ」ぐらいでちょうど良い。

俵谷 龍佑

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