目標を達成するために何かを犠牲にする必要はない。一旦脇に置いておけば良い

働き方、生き方
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Web集客の専門家、俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。

「目標を達成にするためには何かを犠牲にしないと」と言う人がいますが、僕は犠牲って言葉が大っ嫌いです。

大体、なんで何かを挑戦する、達成するために何かを犠牲にしないといけないのでしょう?

全部、抱えてだって達成はできます。

犠牲とは命と同様に大切なものを捧げる・捨てること

改めて、犠牲という言葉を調べてみましょう。

犠牲とは・・・

「ある目的のために損失となることをいとわず、大切なものをささげること。また、そのもの。」<デジタル大辞泉より>

大切なもの捧げないと目標が達成できないというのなら、それは怠慢です。

本来、犠牲というのは最終手段。

それを逆説的に、「犠牲を払わないと達成できない、成功できない」というのは馬鹿げています。

犠牲にせずに、一旦脇に置けば良い

例えば、「独立したから仕事に専念すべく、趣味の釣り道具は全部捨てた」、「海外に世界一周するため、彼女と別れた」などなど。

熟考した結果なら良いですが、「何かを犠牲にしないと成功しない」という変な思い込みに囚われているなら、それは僕は間違いなのではと思います。順番が逆なんですよね。

0%か100%かじゃなく、一旦脇に置けば良いのです。

僕は独立してすぐに決めたことがあって、それが「半年間は仕事をもらう、仕事をこなすことに専念するため、人と極力合わない」というもの。

期間限定的に、人と会うことを脇に置きました。

結果、その半年間で抱えきれないくらい、かなりの数の仕事をもらうことができました。

しかし、人と会うことを犠牲にしていたら、おそらく自分は息が詰まってストレスに押しつぶされていたかもしれません。

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犠牲にするのは簡単。全てを手のひらの上に置いておくことの方が難しい

犠牲にして、ひとつのことに専念するのは簡単です良。

しかし、僕は犠牲にして何かをすることはドーピングだと思っています。

絶対に、その後にその犠牲にしたものに対する後悔や後ろ髪を引かれる思いが出てくると思います。

僕は人生で後悔をなるべく減らしたいので、全てやりたいこと、実現したいことは自分の手のひらの上に乗せたままにしています。

僕は、1年前から歌の練習をしています。比較的真剣に。

でも、この歌も大学時代から親しい友だちに「ボーカルやってみたい」って話していたことで、僕はこの思いをずっと溜め込んでおいたのです。

これも捨てずに、ずっと残しておいて今がチャンス!と思ったからやっています。

英語話せるようになるのも、トライアスロンに出場するのも、ずっと僕は言い続けてきたことで、ずっと捨てないし、これからも挑戦できる機会をうかがい、てのひらの上に乗せています。

まとめ

とはいっても、熱意がなくなったら、手のひらからどけてしまってもよいです。

0か100かで切り捨てるか残すかと振り分けて、今集中できることしか眼前に残さないやり方が極端で良くないといっているわけで、自分にとって必要がなくなったら、それは手のひらからどけてしまっても構わないのです。

大切なのは、自分の気持ちの機微な動きにヒラヒラと柔軟に対応できるか、なのです。

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俵谷 龍佑

俵谷 龍佑

京都が好きすぎて移住|25歳で独立|未経験でライターに|顧客課題を共に考える|採用・地方創生とBtoB向けSEOが専門領域|気合いではなく仕組みで解決|トラベルライター|ADHDグレーゾーン|自分らしく働ける人を増やす|大衆食堂と町中華|新しい働き方LAB 京都コミュマネ|ハフコミュ 2期|信楽たぬき|