「自分が面白い」と思えることを続けることの重要性

働き方、生き方
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最近、ブログがほったらかし気味になっているのは、またまたブログの立ち位置的なものが分からなくなってきたためです。

このブログを「遊びが仕事に、仕事を遊びに」という方向性にマイナーチェンジしたのですが、長く書き続けていると、アクセス数やらいつも読んでくれている人に刺さる文章にしようとか色々考えるようになって、手が止まってしまうことが増えてしまいました。

他人が面白いことよりも、自分が面白いと思うことが重要

面白いって何だろう?っていつも考えるんですが、結局、他人が面白いって思えることよりは、自分が面白い!って思うことが重要なんですね。

他人が面白いと思うだろうなと推測して、自分がそんなに面白いと思っていないって、そもそも長続きしないと思うんですよね。

「自分が面白い」と思うからこそ、それが唯一の価値で、大勢の人が面白いって思うことはすでに存在していてありきたりなことが多いです。

「自分が面白いと思うこと」が、気付いたら「みんなに注目されそうなこと」にすり替わる

「自分が面白い」と思うことが大切と知っているはずなのに、数人から「それいいですね!」という共感の声をもらうようになると、「もっと多くの人に面白いを共有したい」となる。

気がついたら「皆に注目されそうなこと」をやっていて、疲弊する、、、ってパターンよくあるんじゃないかなあと思います。

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これが、大人になると純粋に自分が面白いと思うことを続けるのが難しい理由なのかなと。

今楽しいかどうかが重要。「将来何のためになるか」という問いはいらない

「将来何の役に立つの?」「将来なんのためになるか?」ってこと、大人になると考え始める。

ただ、この問いを設定し始めると、いろんなものが下らなくなります。

じゃあ、趣味の楽器の上達や何気ない雑談、友達とゲームをするということに価値を感じなくなります。

趣味のほとんどは、「今この瞬間楽しい」から続けられるのだと思います。

もし、僕のように「あれ、これって何のためにやっているんだっけ?」とブログや趣味に対して疑問を持ったら、「楽しいから始めた」という原点に戻ってみてください。

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俵谷 龍佑

俵谷 龍佑

京都が好きすぎて移住|25歳で独立|未経験でライターに|顧客課題を共に考える|採用・地方創生とBtoB向けSEOが専門領域|気合いではなく仕組みで解決|トラベルライター|ADHDグレーゾーン|自分らしく働ける人を増やす|大衆食堂と町中華|新しい働き方LAB 京都コミュマネ|ハフコミュ 2期|信楽たぬき|