“2番目にやりたいこと”を取り組んでも最高の人生を送れないことがわかった

働き方、生き方
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俵谷 龍佑です。自分は大学生の頃からプロドラマーを目指すと息巻いていたものの、結局は経歴に傷をつけるのが怖い、失敗したら取り返しがつかないという理由で、聞こえのいい、世間体のいい方向に無意識に逃げていました。

自分は広告やイベントなどメディア関係に興味がありました。これが本当に自分のやりたいことでプロドラマーは趣味でやればいいと思い込むようになりました。自己分析と称して、ノートに書き記して自分に言い聞かせていました。そうして2番目のやりたいことが出来上がりました。

結局、自分に嘘を突き通せない

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自分は2番目にやりたいことを本当にやりたいこと信じ、IT企業の広告代理店の事業部に入りました。出だしは順調でした。同期とも仲良くなれて研修も無事終了。そしてついに部署配属。

「ここから気合いれていくぞー!」と意気揚々と日々過ごしていたのですが…

あれ?なんか違う?こう気がついたのは就職してから5ヶ月目の頃。周囲の目が冷たい視線に変わっていました。もがけばもがくほど、悪くなる状況。もちろんミスは多かったのですが決して不真面目だったわけではありません。自分は常に頭の片隅に、将来の夢のために時間を作らないとという焦りがあって、仕事に打ち込めないままで集中できていませんでした。まだプロドラマーの夢は諦めきれず宙ぶらりんだったのです。

情熱を注げることに集中したほうがいい

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そんな状態で仕事をしていたために8ヶ月目の時にはついに自分の仕事が完全になくなりました。いわゆる社内失業状態です。この時に初めて気づかされました。なぜ自分が仕事がなくなったのか。それは・・・

プロドラマーになるという夢を諦めきれずに中途半端に仕事をしていたからです。

2番目にやりたいことに、情熱を100%注げないということがこの時初めてわかったのです。そして元々夢だったプロドラマーへなる方向へ進むことに決めました。

挑戦の一歩を踏み出せば、思っていた以上に怖くない

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今は会社を退職し、フリーランスとして活動しています。退職する前はとにかく失敗への恐怖、未来への不安でとにかく悩みました。怖すぎて毎日不安でした。

だけど、色々な人に会って後押しをしてくれる人もできて、なんとか最初の一歩を踏み出せました。そして踏み出して見えた世界は、自分が思っていた以上に怖くありませんでした。もちろん大変ですが、充実しています。

まとめ

この経験を通して自分が学んだことは、相手や世間がどう思うかではなく、自分がどうしたいのかを大切にするということです。自分は一時的に社内失業の状態に陥りました。自分にとってそれは大きな失敗であり、本当に隠したい過去です。だけどそれと同時に自分の本当の想いや気持ちを気づかせてくれた転機だったと思います。

以上、長文お読みいただきありがとうございました。参考になれば幸いです。

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俵谷 龍佑

俵谷 龍佑

京都が好きすぎて移住|25歳で独立|未経験でライターに|顧客課題を共に考える|採用・地方創生とBtoB向けSEOが専門領域|気合いではなく仕組みで解決|トラベルライター|ADHDグレーゾーン|自分らしく働ける人を増やす|大衆食堂と町中華|新しい働き方LAB 京都コミュマネ|ハフコミュ 2期|信楽たぬき|