世間の感覚と少しズレてても良いじゃない。逃げ切って卓越した存在になろう

働き方、生き方
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幼いころから「なんでこんな当たり前のことができないの?」と色々な場所でいわれてきました。この言葉は僕にとって、一番傷つく言葉。

だって、僕にとってはその「当たり前」の感覚が分からないから。

他人とどこか感覚がズレているのを無視してきて、大人になってみたらそのズレはひどくなっていきました。

少し気になって病院にいってみたら、僕はADD(注意欠陥障害)と診断されました。

▼ADDとは?▼

世間の尺度に無理に合わそうとせずに、自分のズレを受け入れることにした

僕は、ADDと診断されて自分のズレを受け入れることにしました。

そして、ひたすら世間体とかそういうものから逃飛することにしました。

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だって自分と他人は違うから。ズレを受け入れてから、自分と他人は違うってはっきり言えるようになりました。

世間と僕はズレていると悩んでいる時って、どこかで自分の存在を受け入れられてないんじゃないかなと思ってました。

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他人に認められたい。自分もあの憧れの人みたいになりたい。そのためには、ズレを直そう。

そうやって、他人の認められたい欲求にすがるのも、もうやめにしました。自分には自分のやり方がある。結局は”自分”なんですよね。

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ズレを修正してしまったら、面白みのない人間になる

「欠点から直す」よりも「長所を伸ばそう」。

欠点の中に長所が隠れているのかもしれないのに。欠点を一つ一つ直していったら、世間でいう「おりこうさん」になるかもしれませんが、それは「人間味あふれる人」になるんですかね?

完璧すぎる人って憧れるけれど、実際仲良くなりたいのは、少し人間味のある人の方ですよね。

僕は少なくともぶきっちょの人の方が愛らしくて、親近感を持てます。

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みんなの頭の中の理想でしかないんです。結局、世間の尺度(おりこうさん)は。

それに向けて自分を修正していっても、本当の意味では人々から愛されたり、認められたりはしないんじゃないかなと思っています。

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俵谷 龍佑

俵谷 龍佑

京都が好きすぎて移住|25歳で独立|未経験でライターに|顧客課題を共に考える|採用・地方創生とBtoB向けSEOが専門領域|気合いではなく仕組みで解決|トラベルライター|ADHDグレーゾーン|自分らしく働ける人を増やす|大衆食堂と町中華|新しい働き方LAB 京都コミュマネ|ハフコミュ 2期|信楽たぬき|