SEOライターの俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。
僕は「中庸」という言葉が好きです。
言葉の意味は、「片寄らず中正なこと」です。
なんでも偏りがある判断・考えはよくないです。自分にも他人にも良くも悪くも影響を及ぼしますから。
やっぱり自分の思う通りの充実した生活を送るにはこの考えが大切なんだろうなと思っています。
白でも黒でもないあいまいな部分に本質があると思う
結局、起きている間も寝ている間も、選択の連続なんですよね。
1日の初めには、起きるか寝るかの選択肢があって、次に朝食を食べる、食べないの選択肢があります。このように無意識に無数の選択を行っています。
とかく重要な判断も、毎日行っている感覚で白か黒で判断してしまいがちです。
最近忙しいから、なにかやっていることを辞めないといけない。じゃあ趣味でやってるサッカーをやめよう。
【忙しい→何かやめる】という安直な構図ですね。
本当にそれでいいんでしょうか。全ての時間を満べんなく減らすのではだめ?
安直に考えるとゼロか百になってしまい、少しでも方向を間違えれば充実しない生活に進むかもしれません。
犠牲にする心がけは何にもかっこよくない
僕にとって「犠牲にする」という言葉は酢豚の中のパイナップルくらい嫌いです。
本当に意味がわからない。もちろん、死ぬか生きるかという究極的な状況なら犠牲という選択肢が必要になるかもしれません。しかし、今現状日本に生きている限り、そのような事態はまず起きません。
基本は必要のない選択肢であるべきです。
捨てるか残すかって誰でもできる判断ですよね?考えるのを努力してないように見えちゃいますね、自分は。
あくまで、比率や優先順位の問題であって、完全に切り捨ててしまう必要はないわけです。
犠牲の代償はでかいですよ。方向間違えてたら目もあてられません。
別に毎週やっていたサッカーは2ヶ月に1回すれば良い。辞める必要はないんです。そういうことだと思います。
「そんなんでやる意味あるの?」
「そんなんで本気でやっているなんていわれたくない、全力でやれよ」
そうやって言う奴には、鼻の中に余った鏡餅でも突っ込んであげてください。そんな言葉聞く必要もないので。
完全にやめてしまってその事柄に対して一切かかわらなくなると、また再開するのは非常に難しいですよ。
重い腰をなかなか上げられないのが人間です。人間は怠け者です。
今ある選択肢だけじゃなく、第三、第四の選択肢を考える
趣味を存分にできる生活を送りたい、収入もたくさん欲しい、自分の興味のある分野で働きたい。
これを全て叶えようとすると、わがままだ、無理だといわれます。なんでわがままなんですかね?
わがままで欲張りでいいじゃないですか。欲がなければ成長しよう、新しいことをしようという意志が湧きません。
「わがままだと逮捕されます」なんて法律はないんですよ。
しかし、どれか一つを選択しないと達成できないとついつい思い込んでしまう。
わがままでも別によくないですか。人に「迷惑をかけるな」と教えられたかもしれませんが、「嫌われるな」とは親も教師も教えていないはずです。
人じゃなく自分。自分の中の現実をみよう。
そうすればもっと純度の高い自分の欲望、願望が見えてくるはず。
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俵谷 龍佑
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