「もったいない思考」でいると、結果的にお金も時間も浪費するという話

生産性向上
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俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。

ちなみにこの考えは、過去記事で紹介した筆子さんの書籍「1週間で8割捨てる技術」でインプットした考えです。

以前、紹介した書籍はこちら↓

割と、モノ持たない主義でやってきたつもりなのですが、この書籍を読んで、自分にも無駄があったなあとつくづく反省。

今、「もったいない思考」から僕は脱却しようと必死です。

とっておく、置いておく方が実は「もったいない」

僕の両親は、「モノを再利用する、モノをたくさん持つ」という価値観でした。

少なからずその影響を受けて、大学くらいまで僕も部屋はモノだらけでした。

しかし、大学4年くらいから、そもそも部屋が散らかっているのは、掃除できていないからではなく持っているものが多すぎるからと気がついて、そこからモノを持たない生活に憧れるようになりました。

「モノを捨てるともったいない」から、それを別のものに再利用しよう。という考えは、一見エコで聞こえがよいかもしれません。

しかし、お中元でもらった煎餅の缶を小物入れに使ったり、コーヒーの缶を鉛筆立てに再利用したりと、そもそも別の用途のものなのだから、そのまま使えば上手く使いこなせません。

そのために、100円ショップで仕切りを買ってみたり、ちょっと加工してみたりと…

そこに手間かける必要は果たしてあるのか?

結局、時間(手間)もお金もかかってしまうのです。だったら、とっと捨てて、自分の気に入った小物入れや鉛筆立てを買ったりするほうがよいわけです。

「不要なものは捨てる=モノを大切にしてない」ではない

「不要なものを捨てること=モノを大切にしていない」と考えがちですが、これイコールではないんじゃないかなと思っています。

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ものを大切にするということは…

「不要なものは捨てて、有用なものは大切に扱う」

ことだと僕は思います。

不要なものばかりにエネルギーを割いて、なけなしのお金を出して買ったお気に入りのものを放ったらかしにする方が僕はモノをぞんざいに扱っていると思います。

「いつか使う」と残すのは、捨てる責任を誰かに押し付けているだけ

よくモノを捨てようとすると頭に浮かぶ言葉。

「いつか使うでしょう」

1年以上も使っていないのに、いつか使うわけないんですよね。結局は、自分が捨てたくないからその責任から逃げたいだけなんです。

結局、買ったものをあまり使わずに手放す自分の愚かさを目のあたりにするのが怖いのです。

もし、自分が死んだら死後整理するのは親戚、親族なわけで。結果的には、誰かが捨てなければならない。

僕は、死んだ後にまで親戚や知り合いに迷惑かけたくないので、常に持つモノを少なくする生活にしようと思っています。今、部屋の一掃整理中。

ひとまず、年内に部屋にある7~8割を捨てるか売るかしようと画策中。

いきなり捨てるというのは、僕もなかなか覚悟がいるので、今は宅配買取をしてくれるネットオフなどで不要品の買取をしてます。

今までは、ブックオフにわざわざ出向いて売っていたのですが、もうめんどいので、ネットオフでまとめて買い取ってもらってます。これはおすすめ!

 

▼紹介した書籍はこちら▼

▼こちらがネットオフの情報▼

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俵谷 龍佑

俵谷 龍佑

京都が好きすぎて移住|25歳で独立|未経験でライターに|顧客課題を共に考える|採用・地方創生とBtoB向けSEOが専門領域|気合いではなく仕組みで解決|トラベルライター|ADHDグレーゾーン|自分らしく働ける人を増やす|大衆食堂と町中華|新しい働き方LAB 京都コミュマネ|ハフコミュ 2期|信楽たぬき|