俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。
僕は会社を辞めて独立しようとした時に、社内外の多くの人からいろんなことをいわれて反対されました。
「あと2年スキルアップをしてからでも遅くないのでは?」というアドバイスに対して、僕は論理の筋が通った返答ができずに納得してしまいました。それでも僕の中には何となく違和感がありました。
その違和感というのは、僕のわがままなんじゃないのかな?そんな風に思っていました。
論理の筋が通ってることが正しいとは限らない
それでも、なぜ僕が会社を続けずに独立したかといえば、論理の筋が通っていることが正しいとは限らないことを知ったからです。
確かに、今じゃなくても独立はできるけれど、「今、独立して音楽をしたい、自分の好きなことをしたい」という自分の気持ちは否定できませんでした。論理では自分の気持ちはごまかせないということですね。僕はこのときにしっくりこないという感覚の大切を知りました。
もし、しっくりこないならその感覚は「わがまま」でなく、正当な判断です。
論理の筋を大切にすることは、他人の目を気にしている事に他ならない
「筋を通す」のは誰に対してなのでしょうか?
たぶん、自分じゃなく他人です。自分に対しては筋を通す必要がないんです。自覚しているから。だれかに上手く説明できるためにとか、納得してもらうためにとか。
ぶっちゃけ、そんなの必要ありますか?
相手が否定しようと、自分はそうしたいんだから仕方ないんです。上にも書いた通り、他人が否定したから=論理的に矛盾があるから、自分の意見は間違っているとはならないんです。
自分から湧き上がる感情を、論理的にすることが間違い
自分の感情とか情熱をなんとなく説明できていても、大概は後付けだったりします。
よくインタビューとかでも「今になっては~」と書いてあることが多いと思います。
情熱とか感情とか少しでも自覚しているなら、世の中の常識とかと照らし合わせずに、それに従って少し動いてみると良いかもしれません。その感情を論理的にしている間にどんどん時間が過ぎてしまいますから。
例えば、僕は今曲を作っています。
作曲をすることで何が得られるの?といえば、世間の常識に当てはめれば「無駄なこと」と評価されるかもしれません。でもそれでよいと思っています。
ついつい、へんな効率主義が身について「これやって何の得になるのか?」と自分のやりたいことを否定しがちですが、損得は関係ないです。損得じゃなく、もっと高尚な「自分が楽しいか」という話だと思います。
本当の理由はもっとシンプルだったはず
損得よりも「楽しい」という動機の方が高尚なのです。大人になればなるほど、動機や理由を求めますが、そんなのぶっちゃけどうでもよいのです。自分が納得していれば。
もっとシンプルで簡単なのに、自ら複雑にしているだけです。
他人の目を気にするから、本来の動機や理由に後付けをしているだけで、本来は「楽しいから」「嫌われたくないから」そんなものです。

俵谷 龍佑

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