俵谷 龍佑です。
私は4年間逃げ回って分かったことがある。
「やりたいこと・挑戦したいこと」をやらないうちから完全に諦めることはできない
やりたいことを例え他人から否定されても、自分がやりたいと思う気持ちを大切にするべき
ということだ。改めて、矛盾した4年間を振り返りたい。
逃避生活1年目
大学を卒業して、ミュージシャン学科の専門学校に行きたいと入学願書まで出したのに、入学直前でビビって「自分の音楽活動の宣伝力をつける」などといった最もらしい言い訳をつけて、広告デザインの専攻に入学し、音楽活動から遠ざかった。「音楽はひとまず社会人になってから両立してやればいい」という思いで、初めての就職活動を開始。根底にはミュージシャンになりたい気持ちがあるから、当然上手くいくわけもなく。全部面接は落ちた。
逃避生活2年目
就職活動の中で出会った起業家に魅了されて、フリーランスの自由なライフスタイルに憧れる。「就職活動するより、フリーランスになったほうが音楽活動と両立して仕事ができる。これはいい!」と思い、専門を中退して、フリーランスになることを決意。もともと、広告デザインは興味はあったが、本当にやりたいことではなかったので、専門をやめた。この時は本当に血迷っていた。
逃避生活3年目
勢いでフリーランスになったので上手くいくわけもなく、全然稼げず。結局、稼げなくてお金もないから加入していたバンドも脱退。「自分は何がしたかったんだ?」と悩んで行き詰まる。この時、既卒3年目の時だった。既卒は3年目まで新卒扱いになる。これを逃したら正社員になれない。そう思い、正社員になることを決めた。
逃避生活4年目
とにかくこの4年間ブレブレだった。一貫していたのは、自分の気持ちよりも世間体や他人の意見を優先していたことだ。
そして4年目に「社内失業」という自分に頭を撃ち抜かれるような衝撃。最後の3ヶ月は担当のお客さんもいなくて、「仕事ください」といっても仕事をほとんどもらえず、「あの人なんで仕事ないの?」「何かあったのかな?」という周囲の目を気にしながら、とにかく自分の席に座る苦痛の日々。これほどの苦痛は味わったことがなかった。「そんなことは挫折に入らないよ」という人もいるかもしれない。自分にとって仕事がない中、出勤し続けることは苦痛以外の何物でもなかった。
まとめ
この出来事で、自分はついに本気で自分と向き合った。「本当に本当にやりたいことはなんなのか?」初めて自分自身と真剣に打ち合わせをした。そして出た答えがもともと思っていたミュージシャンだった。
灯台下暗し。自分は今まで外に答えを求めてた。みんなが楽しい、面白いと思うものに、心惹かれてた。それが自分のやりたいことかと思ってた。でも本当は違う。自分がやりたいものをとことんやるべきだ。この4年間で学んだこと。
くりかえしになるが、それは…
「やりたいこと・挑戦したいこと」をやらないうちから完全に諦めることはできない
例えやりたいことを他人から否定されても、自分がやりたいと思う気持ちを大切にするべきだ
もう逃げずに取り組みたい。ここからはブレずに進んでいきたい。

俵谷 龍佑

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