住み継いで運営する新しい場のカタチ。「イエローハウス」オーナー三浦さんのお茶と場作りへの想い

取材
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俵谷龍佑(@tawarayaryusuke)です。

50人の面白い人の活動にスポットを当てる取材企画、「#omorointerview」の第二弾!

今回は、下町の東日本橋・人形町エリアにあるギャラリースペース「イエローハウス」を管理する三浦さんにお話しをお伺いしました。

イエローハウスを始めたきっかけは?

俵谷:イエローハウスについて話をお伺いする前に、イエローハウスを運営するに至るまでの経緯を教えてください。

三浦さん: 以前は日本橋の水天宮前駅近くに住んでいました。しばらく住んで、もっとおもしろい場所に引っ越したいなと次の場所を探していたんです。

そのころは、本業とは別で友人と日本茶のイベントをやったりして、お茶に興味を持ち始めていた時期でもあるんです。

そんなことがあり、お茶のイベントができたり、お茶を売れるスペースも探してたんです。

最初はキッチンカーみたいな形でお茶が売れたらおもしろいなと思っていました。

そこで、「軒先ビジネス」というサービスで物件を検索していたら、このイエローハウスを見つけました。

さっそく、イエローハウスに見学に行って、当時住んでいた人から「もうすぐ出ていくんで、次の借り手を探しているんです」という話を聞いたんです。

これは何かの縁かもしれないということでここに住み始めました。

俵谷:え!?このギャラリースペースの上に住んでいるんですか?(笑)

三浦さん:実はそうなんです(笑)

この「イエローハウス」2Fに住まれているそうです……!すごい!

ここは大家が若手アーティストや美大生を支援したいという思いから始まった場所なんです。

一番最初に住んでいた人はクリエイターだったみたいで、その人は自宅兼アトリエとして住んでいました。ちょうど僕で3代目(3人目)になります。

俵谷:住み継いでるんですね。

三浦さん:そうですね、ここは、元々数10年前まではハンコ屋だったそうです。

1代目がまずハンコ屋からアトリエにリノベーションし、2代目がアトリエからきちんとしたギャラリースペースにし、僕がテーブルや椅子などの備品や環境を整えたという感じで、代々、DIYで場を作り上げています。

「イエローハウス」をリノベーションをする様子

僕が借りるようになってからは、さまざまな方に使ってもらうようになり、絵画展や写真展、学生のグループ展(東京藝術大学が近い)がいくつか開かれています。

俵谷:今はどんな仕事をしているんですか?

三浦さん:実は、さきほどお話しした日本茶のイベントをきっかけにお茶の虜になってしまって、当時から友人と一緒に日本茶のビジネスをやっています。

俵谷:元々、お茶は好きだったんですか?

三浦さん:実は地元がお茶の産地、静岡県島田市で、日頃からお茶に触れてはいたんですが、昔はお茶を仕事にするってことは意識していませんでした。

20代の頃は特にお茶をこだわって飲んでいたということもなかったと思います。

俵谷:島田市といえば、有名なお茶の名産地ですよね?

三浦さん:そうです。実家には茶畑があり、今もお茶づくりをしています。昔は家に茶工場もありました。

三浦さんの実家の茶畑@島田市

でも子供の頃から、地元を出て東京や海外に行きたい志向が強くてお茶のことはほとんど考えていなかったですね。

地元を出てから、実際にやりたい仕事を東京や海外でもすることができました。

タイやイギリスでの仕事や暮らしは面白かったのですが、外国のことを知り、外から自分の地元である静岡県や島田市を客観的に見た時に、ものすごい魅力的な場所だなって改めて気づいたんです。

タイ勤務の頃の三浦さん

僕が生まれてから実家付近の環境はめまぐるしく変わっていて、新東名高速道路ができ、静岡空港ができ、ここ数年で大きなショッピングモールができて、そしてSLも走る大井川鉄道の新駅が実家の目の前にできるなんて話も出ています(笑)

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そんな自分が生まれた町の未来を想像するとワクワクするし、もっと町のために何かできるんじゃないかと自然と感じるようになりました。

海外に出てみたけど、本当に大切なものはすぐそばにあったという感じですね。

俵谷:お茶にハマるきっかけは何かあったんですか?

三浦さん:今一緒に日本茶のビジネスをやっている友人に、お茶のイベントを手伝ってと誘われて、実際に開催してみた時に「あれ?お茶ってすごい面白いじゃん」と思ったのがきっかけです。

日本茶は、色々な文化やものと親和性が高いと感じ、「日本茶の可能性」に気づいたんです。

あとは、心のどこかにお茶の町である地元をお茶で盛り上げたいという気持ちがあったのかもしれません。

俵谷:過去には様々なイベントを開催したそうですが、どんなことをやっていたんですか?

三浦さん:「CIRCUS Tokyo」とシェアードワークスペース「co-ba shibuya」とコラボしてお茶×お酒×音楽のイベントや、シェアオフィス「WeWork」とコラボして、日本各地のお茶飲み比べ体験&ワークショップなどを開催してきました。

またイベントを開催する中で、日本茶ケータリングの需要があることに気づいたので、住宅展示場や企業の展示会でお茶をケータリングするサービスも始めています。

住宅展示場でのワークショップの様子

お茶は、コミュニケーションのきっかけを創るツール

三浦さん:お茶は、お湯の温度や茶葉の量などが大切と語られることが多いのですが、実は本質的に大切なのは急須で入れるというコミュニケーションだと思うんですよね。

確かにお茶は、飲んで味わうことが重要ですが、お茶は、人間同士のコミュニケーションのきっかけを創る媒介者になれると思うんです。

急須で入れることは、日本のおもてなし文化の真髄とも言えるのかもしれません。

俵谷:確かに。一人で飲むのも良いけど、お茶を入れてもらう、誰かと会話しながら飲むというのが醍醐味ですよね。

そういう意味でイエローハウスみたいな場所で、お茶を出すっていうのは面白そうだし理想ですよね。

三浦さん:それは、実は話が出ています。

イエローハウスの駐車場で、キッチンカーでコーヒーを販売しているお客さんがコーヒースタンドをやってみたいということだったので、このギャラリースペースをカフェ&ギャラリーみたいするのも面白いかもしれないと考えています。

イエローハウスの横のキッチンカーでは、ハタさんが美味しいコーヒーを淹れてくださいます♪

どうなるかわかりませんが、まずやってみようかなって。

そこに日本茶もあったら面白いなって思っています。

住み継いで常に変化していく場所

三浦さん:イエローハウスがある東日本橋・人形町界隈は再開発地区で、古い昔ながらの建物はほとんど立て壊されているのですが、ここだけまだ無事に残っています。

本当に面白い場所だと思います。外壁も黄色いし幸運を呼び込んでいるのかもしれませんね。

今まで、この場所は代々受け継がれてきたので、とにかくこの場所をもっと有効活用したいと思います。

また、僕ももう3年近く住んでいるので、別の人に引き継ぐ日も近いのかなとも思っています。やってみたかったことは大方できたと思うので。

ここは常に新しい風が吹き続ける場所だから、むしろ長くとどまってはいけないかなって思って。それがここの面白さだと思いますね。

今回、取材にご協力いただいた方はこちら

三浦一崇さん(イエローハウス管理者)


1983年、静岡県の茶農家に生まれる。出版社やPR会社に勤務し、メディア業界で長年働いたのち、日本茶の世界へ。現在は日本茶販売を行う製茶問屋に勤務。「お茶から生まれる感動を、働くひとの日常に」をテーマに、お茶の情報発信を行うウェブサイト「ニュータイトル」や日本茶のイベント&ケータリングも運営している。
https://newtitle.tokyo/

「イエローハウス」をもっと詳しく見る

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俵谷 龍佑

俵谷 龍佑

京都が好きすぎて移住|25歳で独立|未経験でライターに|顧客課題を共に考える|採用・地方創生とBtoB向けSEOが専門領域|気合いではなく仕組みで解決|トラベルライター|ADHDグレーゾーン|自分らしく働ける人を増やす|大衆食堂と町中華|新しい働き方LAB 京都コミュマネ|ハフコミュ 2期|信楽たぬき|