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子供の自殺が最も多い「9月1日」を迎えるにあたり、改めて「いじめ問題」を考える

time 2016/08/31

子供の自殺が最も多い「9月1日」を迎えるにあたり、改めて「いじめ問題」を考える
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今日はかなり真面目なテーマでお送りします。

つい最近まで知らなかったのですが、来る明日9月1日は毎年、子供の自殺率が突出して多い日だそうです。

なんで、僕が「いじめ問題」を取り上げたかといえば、かくいう僕もいじめを受けた被害者だからです。その時の話をしようと思います。

※僕が実際にいじめられた時のことをリアルに書くので、不快に感じる可能性があります。感受性豊かな方は、そっと戻るをどうぞ

僕は、今まで詳しくブログでいじめについて書いてきませんでした。というのも、思い出せないからなんですよね。

しかし、今回、両親にも話を聞いて当時の状況をできうる限り、思い出しました。

記憶の限り、書いていきたいと思います。

「いじめられる方にも原因がある」という論理の愚かさ

僕は、小学3年生の時に、東京に転校してきました。

転勤族はだいたい目立っていじめられるか、ヒーローになるかのどちらかです。僕は後者。

ここから、約2年半くらい、殴る蹴るの日々が始まります。

僕の体型は今のように細くなくて、当時はだいぶデブでした。

顔もポチャッとしていて、おとなしかったので、からかうには格好の的でした。

僕が実際に受けたいじめは以下のようなものでした。

・ランドセルに足跡をつけられる
・給食袋を高い木につるされたまま、放置
・女子の前でズボンを脱がされる
・大縄で殴られる
・のどにグーパン
・毎日、肩パン、足にキック(あざができた)
・首絞め
・班から仲間外れにされて、一人で給食を食べる
・椅子で殴られる

書いて文章に起こしてみたら、なかなかひどいですね。

正直、僕はこれだけのいじめを2年近く受け続けましたが、先生は「いじめられる方にも原因があるだろ」みたいな感じで助けてくれませんでした。

よくこういう論理をニュースでも聞きます。

ただ、僕はこういう発言するやつに言ってやりたい。

 

「同じ目に合ってから、同じセリフいえんのか?」

 

僕の性格が悪かったかもしれません、もしかしたら、僕のADDの特性がKYな感じにしていたのかもしれません。

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しかし、そんなの子供に改善する力なんてないんですよ。

というか、改善という考えも頭をよぎりません。

いじめられている最中は、とにかく疑問しかないんですよ。

「なんか悪いことしたかな?」

できることといえば、「これは、みんなに構ってもらえているだけなんだ」と前向きに考えることだけ。

個性を排除する社会の縮図

僕は、なんとか2年半を耐え忍んで、中学受験をして学区の中学を離れるという方法で、いじめが続くことから回避できました。

僕は、つくづくなんであの時いじめられていたんだろうと振り返ると、やっぱり自由奔放に生きていたからだろうなと思います。

他人とズレていたんだと思います。しかし、それっていけないことなんでしょうかね?

この子供のいじめ問題は、大人の社会でも当たり前のように行われています。

仕事をわざと渡さない、気に入らないヤツを担当から外すとか。本当にそういうのを見るとヘドが出ます。

これは、学校の教育現場にも問題があります。

画一的な答えを求める、そんな教育課程では、個性は排除されて当然です。

ここからずれたものは、みんな出来の悪い、異質な扱いをうけてしまう。

学校が「通わなければいけない場所」になっていることが問題

上でも何度も書きましたが、子供が自分のズレに気付き、環境に適応するということは大人のサポートなしに自力で行うのは無理です。

現状、近隣の学校に通うのがまだ一般的であり、通わなければいけない場所という認識が強いです。

理解のない大人たちばかりいる、劣悪な環境にいる子供は、そこから抜け出ることができません。

僕のように、私立に行ければいいですが、その余裕もなければ、またいじめが繰り返されます。

「親に相談すれば済む話でしょ」と思うかもしれませんが、僕も当時、いじめについて親には相談しませんでした。(後に先生経由で親が知りました)

全員が全員、親に相談できる子供ばかりじゃないのです。

まとめ

とにかく、僕が今回この記事で言いたかったことは、いじめはいじめられた本人のせいじゃないってこと、そして、今の学校教育には逃げ場がないということ。

もちろん、学校には行くなというわけでなく、せめてホームスクリーニング(自宅学習)のような制度があってもいいかなと思います。

もっと、個性が受け入れられるような社会、学校作りが実現して欲しいですね。

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著者

俵谷龍佑(タワラヤリュウスケ)

俵谷龍佑(タワラヤリュウスケ)

「社内失業」になり、1年で大手企業を退職。その後、ADD(軽度)が発覚。 それを機に、「強みを伸ばす」の重要性に気付き、向いてない事を諦めてやりたいことだけやる人生を目指す。28歳、作曲も歌も未経験という状態から、昔からの夢「音楽で食べていく」ことに向けてようやく本気で取り組み始める。今は、まだ作曲中、歌練習中で、音楽では食えてません。フリーライターで生計を立てています。 [詳細]