新卒25歳でトランスコスモスに入社するも、たった1年で退職した話。

働き方、生き方
この記事は約6分で読めます。
スポンサーリンク

Web集客の専門家、俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。

今からかれこれ2年前の話ですかね、

僕はある会社でサラリーマンをしておりました。

しかし、僕はその会社では自分らしい生活を送れずに、鬱屈とした日々を過ごしていました。

なぜ会社名を公表してまで書くか?

このブログはまだまだ多くの人に読まれるほど大層なものではありませんが、やっぱり会社名を出すのはとても勇気が入りました。

しかし、僕の実体験をありありと書き綴るには必要なことだと思って書くことを決めました。

先に言っておきますが、会社の批判をしたくて書いているわけではありません。

別にとやかく批判をする気は毛頭ないのです。ただ僕にあわなかっただけだから。

あくまで、体験談としてここにしたためておきたいのです。

フリーランスの経験があるということで、少し期待されていた

僕の経歴を話すと、大学をストレートで入学・卒業→デザインの専門中退→フリーランス(約1年半)という感じで動いていました。

専門を中退していたので、大学卒業からカウントすると既卒3年目ギリギリ新卒扱いだったわけです。

フリーランスの経験があったから、最初は期待されていました。

フリーランスの時は、上手くいかなくて仕事もほとんどありませんでした。

だから、会社で正社員として働けることが楽しみで仕方がなかったのです。

僕がいた部署は、ネット広告を扱う部署でデータの分析や広告文の作成などを行っていました。

細かい作業が苦手な僕は・・・ミスを連発しました。

気が付いたら、「できないやつ」というレッテルを貼られていた

細かい作業が苦手なことは分かっていたので、改善策もいろいろ考えて試しましたが、ミスしては怒られるの繰り返し。

そして、入社から半年で僕は「できないやつ」「トラブルメーカー」と評されるまでに落ちぶれてしまいました。

ミスを連発していたのだから当然の評価です。

ただ、こんなにあっという間に評価って地に落ちるのか、とこの時しみじみ感じました。

挽回すべく、みんなよりも1時間くらい早く出社して仕事をしました。

休日も専門書を読んで勉強しました。僕なりに努力はしたつもりです。

しかし、悪循環に陥って抜け出せずにいました。そして…

自分の担当していた仕事を全て引き継ぐことに

S さん
今持っているお客さんは、来月から全て別の人に担当になるから、引き継ぎよろしくね
「あ、、はい。(え…これはまさか事実上のクビか?」

 

僕は言葉を失いました。本気で悲しかったけれど、涙も言葉も出なかった。

引き継ぎと聞いて、最初は僕も楽観視をしていました。

「この後、仕事がくるのだろう。配置転換なのかな。」

そう思っていなければ、気が狂いそうでした。

しかし、僕は直属の上司から「他の部署への異動や転職を考えた方がいいよ」といわれました。

僕は、この時初めて「社内失業」するのだと確信したのです。

僕の居場所はなかった

他の部署への異動も考えて、面談もセッティングしましたが、僕の悪い評判が広がってしまっている状態では上手くいきませんでした。

残った選択肢は、今の状態を維持するか、退職するかしかありませんでした。

いや、選択肢は作り出したら他にもあったのでしょう。本当は。

でも、僕にそんな気力はもう残っていませんでした。

スポンサーリンク

確かに根性なしの意気地なしかもしれませんが、仕事がない状態がずっと続くことが耐えられなかった。

何をしたかったのか、今までの人生を振り返って本気で考えた

今まで25年間、この会社に入るまで相当ぬるく甘えて生きてきた気がします。

環境にも恵まれていました。

でも仕事がなくなって、僕は本気で考えました。本当は何をしたかったのか。

そこで出てきたのがあきらめかけていた「音楽を仕事にしたい」という夢でした。

本当に今までみっともないと思ってひた隠しにしていた夢。

失敗するのが怖くて逃げたけど、僕は音楽の情熱を捨てきれなかった
俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。 僕はミュージシャンとしてドラマーとして食べていくことを夢見ていました。 そのきっかけはプロフィールに記載したので、割愛します。 現在はそれに対してようやく向き合えて、一歩ずつ進むことがで...

今まで本気で挑戦しようとなんてあったか?諦めるなら、まずやってからだろう。

そう思って、僕は退職を上司に伝えました。

退職するまでに4ヶ月かかった

「音楽で食べていくという夢をあきらめきれない」と正直に伝えました。

当たり前ですが、引き止められました。

そりゃそうですよね、普通1年で辞めるってこともあり得ないし、音楽をしたいなんて言い出すんだから。

「ひとまず3年頑張ってみたら?」といわれて僕は言葉を返せませんでした。

今じゃ「3年頑張る」というフレーズは呪縛と思っていますが、この当時は本当に会社を辞めるのがとんでもなく怖かったのです。

僕はこのままではダメだと思って、とにかく安心したくて、独立して活躍している人を探しました。

そうすると、イケダハヤトさんやjMatsuzakiといった方が書いているブログに行き着きました。

とにかくひたすら読みました。

そこで僕は「脱サラして独立しても、何とかやっていけるらしい」ということを知りました。

また、それはやってみないとまず分からないということを知ったのです。

そして、僕は退職を決意して、ようやく入社から1年経った3月に辞めることができました。

最後に

会社を辞める前は、「1年で会社辞めた糞ガキがそもそも上手くいくのか」なんて思っていました。

会社を辞めて、まず僕は手元の生活費を得るためにライターの仕事を始めました。

そのライターの仕事をやり続けて、もうすぐ4年が経とうとしていますが、おかげさまで人にライターの仕事を依頼できるまでの規模に成長することが出来ました。

本当に何とかなるものだと僕は思っています。

もし、あのまま社内の評価を取り戻そうと躍起になっていたとしたら・・・

おそらく自信を喪失しっぱなしで、独立なんていうことも考えられなかったかもしれません。

 

あの時に決断をしていなかったら、僕は今のように自分らしく生きていなかったかもしれません。

もし、今何事も上手くいかなくても環境を変えれば好転するってことはザラにあります。

会社で無価値でクソだった自分でも、今こうなれているのだから!

こちらもあわせて読まれています!

カネなし・仕事なし・プランなしで退職して半年。貯金もできて仕事ももらえるようになったよ。

今勤めている会社はブラック企業?チェックリストで客観的に判断しよう

会社を辞める決断が正しいか迷った時に考えるべき5つのコト

情熱を持てない仕事をやめるから、「やりたいこと」が見えてくる

スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

The following two tabs change content below.
俵谷 龍佑

俵谷 龍佑

京都が好きすぎて移住|25歳で独立|未経験でライターに|顧客課題を共に考える|採用・地方創生とBtoB向けSEOが専門領域|気合いではなく仕組みで解決|トラベルライター|ADHDグレーゾーン|自分らしく働ける人を増やす|大衆食堂と町中華|新しい働き方LAB 京都コミュマネ|ハフコミュ 2期|信楽たぬき|