やりたいことを探すのは楽しいはずなのに、面倒くさく感じるのは何でだろうか?

働き方、生き方
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俵谷 龍佑(@tawarayaryusuke)です。

本来はやりたいことについて考えることは楽しいはずです。よく子供の頃は「消防士になる」や「サッカー選手になる」など考えていたのに、大人になったらやりたいことについて考えるのが苦痛になりました。なぜなのか、ちょっと考えてみました。

今していることと全く関連性のない「やりたいこと」が見つかるかもしれないから

もし、閃いたやりたいことが今やっていることとまるで関係ないことだとしたら、今やっていることに意味を持てなくなります。

だから、やりたいことを考えることは楽しくないし、辛いのかなと思っています。

私はライターをやっていますが、仮に本当は医者になりたいと思ってしまったら、まるで走っている方向が違います。今まで動いてきた分戻るような、今までの行動が不毛だったという感覚になってしまいます。

やりたいこと探しても、モヤモヤするだけで時間がもったいないと思うから

正直、一人で書いて整理しても、やりたいことというテーマは限界も決まりもないので、どんどん思考が広がっていくし新しい疑問が出ます。結局キリがないと思ってしまうのです。不毛だと。

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たとえ見つかっても、どこかでストッパーをかける自分がいるから

原石的なものが見つかっても、無意識にストッパーをかけている自分がいました。「無理でしょ」「ばかにされる」などネガティブなワードがでてきて、結局、内面から良いアイディアは出ずじまいです。

じゃあ、考える必要はないのか?

最近は一人だとラチがあかないから、色んな人に会って自分のやりたいことや将来の目標を話すようにしました。フィードバックをもらえば、なにか刺激や学びがあると思ったからです、

しかし、いろいろな人と会っているうちにショックなことが起きました。

それは、「自分は一体何者なのか?」自己紹介の時に自信をもっていえないことでした。

ライターはあくまで職業。では自分は何を目標としている人間なのか、ここが言えないのは本当にショックでした。

まとめ

本当に自分が専念したいものは何か、ここが決まらないとなかなか自分は何者なのか、これが明確にならないことが分かりました。

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俵谷 龍佑

俵谷 龍佑

京都が好きすぎて移住|25歳で独立|未経験でライターに|顧客課題を共に考える|採用・地方創生とBtoB向けSEOが専門領域|気合いではなく仕組みで解決|トラベルライター|ADHDグレーゾーン|自分らしく働ける人を増やす|大衆食堂と町中華|新しい働き方LAB 京都コミュマネ|ハフコミュ 2期|信楽たぬき|