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恐怖でしかなかった「周囲の視線」は、自分が勝手に作り出していたことに気がついた

time 2015/07/20

恐怖でしかなかった「周囲の視線」は、自分が勝手に作り出していたことに気がついた
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高校2年生に友人のライブでバンド演奏を聞いたのがきっかけで、「うおードラムかっこいい!絶対やりたい」というのがきっかけでバンドを始め、それが発展して大学生の3年生の頃には音楽の道に進みたいと思っていた。

だが途中から「音楽を夢見ると馬鹿にされる」と夢見る自分を恥ずかしく思って、スキルをつけねばと自分に言い訳をして、デザインの専門に進んだ。

今思えばただの迷走。そこからひたすら「世間が幸せ」だというものにひっぱられて4年過ごして、ようやく自分の気持ちに気が付くことができた。

今はだいぶ自分のやりたいことに正直になり、その方向へ進む覚悟ができた。

今日は当時の事を反省も込めながら振り返りたい。

とにかく人に嫌われたくない「超臆病者」だった

「自分はドラム演奏で食べて行きたいんだー!!」そんな大層なことをいったら、

みんなに一斉に鼻で笑われるか、もしくは、「金の工面はどうするん?」「成功する根拠は?」とがちがちに問い詰められるのではと、とにかく本当にビクビクしていた。

人に否定されるのが怖くてたまらなかった。

失敗もそうだ。失敗をしたらみっともない。

「ほ~ら、人の忠告きかないから、失敗したじゃん」「あいつ無謀な挑戦して失敗したけど、どうすんだろね」別に人にいわれたわけではないが、そんな言葉を勝手に妄想してパニクってしまうから、

自分の本当にやりたいことには蓋をして見ないようにしていた。

「みんなに自分をよく見せたい」と虚栄を張ってた

別に誰に言われたわけでもないけど、自分は今まで、デザイナーってかっこいいっていわれそう、起業ってかっこいいっていわれそう、大手IT企業ってかっこいいっていわれそう、で全て選んできていた。

確かに楽しかったがそこに安堵感はなく、常に人の顔色伺いでビクついていた。

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自分はこれで正しいのかなって。

そうやって人の顔色ばっかり伺っていたから、なんだかいつも落ち着かずに疲れていた。

「ミュージシャン=夢を追っているプププな人」というイメージだった。

自分でしたいと思いながら、「いやいや自分にできるわけないでしょ!」とか「笑いものにされるだけが関の山」と思っていた。

それはできるわけがない。

だって自分でやりたいことを一番自分で馬鹿にしていたのだから。

これは今だから冷静に振り返ることができるけれど、当時は完全に自分の頭の中には、「バカにしている他人」がいたから、

まさか自分で自分の夢を馬鹿にしているなんて全く思っていなかった。

恐怖でしかなかった「周囲の目」は、自分が勝手に作り出していたことに気がついた

自分にとって一番大きな決断は、会社をやめた時だった。

それは大きなリスクを伴うから死ぬほど悩んだ。

いろいろな人に話を聞いたし、本も読んだし、自分でもいろいろ考えた。

まぁ半分くらいは反対されたかな。

考えた末に分かったことは、自分も他人も自分がこれからやることに対しての結果なんて全く知らないってことだ。

つまり予測できない。だからまず行動するしかないとこの時思った。

他人も未来のことは分からない。

じゃあまだ自分のことを一番知っている自分を頼りにした方がいいよな。

そう思って、自分自身の決断を信じることにした。

まとめ

踏み出してみると、今まであんなに悩んでいたことが「なんだ悩むより行動すればよかった」と思える。

確かに突拍子もないことをしようとすると、「他人に馬鹿にされたくない」という思考が邪魔をする。

でも、バカにしてくる他人も未来を予測することは全くできない。

そう思えば気が楽になる。

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著者

俵谷龍佑(タワラヤリュウスケ)

俵谷龍佑(タワラヤリュウスケ)

「社内失業」になり、1年で大手企業を退職。その後、ADD(軽度)が発覚。 それを機に、「強みを伸ばす」の重要性に気付き、向いてない事を諦めてやりたいことだけやる人生を目指す。28歳、作曲も歌も未経験という状態から、昔からの夢「音楽で食べていく」ことに向けてようやく本気で取り組み始める。今は、まだ作曲中、歌練習中で、音楽では食えてません。フリーライターで生計を立てています。 [詳細]